清涼寺「源融の墓」

撮影 2014年5月10日
The Graveyard of MINAMOTO-TOORU
Seiryoji, Kyoto - May 10, 2014
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源融(みなもとのとおる)(822-895)は嵯峨天皇の十二男。六条河原院を建造したことから、河原左大臣と呼ばれる。嵯峨釈迦堂・清涼寺は源融の山荘「棲霞観」があった場所、ここに源融の墓がある。
 ・京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46 map
 ・TEL 075-861-0343
 ・アクセス 京福電車嵐山線「嵐山」下車徒歩15分
 ・境内自由
 ・駐車場あり、有料

「源氏物語」の主人公、光源氏のモデルになったと言われる源融(みなもとのとおる)の墓が清涼寺の境内にありますのでご案内します。清涼寺の本堂から山門を眺めますと右手に見えるのは多宝塔。

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源融の墓はこの多宝塔の裏手にあります。

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右手に通路がありますので奥に入っていきます。

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ありました。源融の墓所です。

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墓石として宝篋印塔がひとつ立っています。源融は、平安初期に活躍。嵯峨天皇の十二男です。「六条河原院」(現在の五条通の南側、渉成園のあたりまでの一帯)とよばれる大邸宅を造影したことでも知られています。小倉百人一首には「河原左大臣」として登場。「みちのくの しのぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに」の句は覚えましたね。

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もともと清凉寺のエリアは源融の山荘「棲霞観(せいかかん)」があった場所。死後、子息によって棲霞寺(せいかじ)とされましたが、こちらの本尊は阿弥陀三尊像。これが現在の阿弥陀堂(清涼寺本堂の右側にある建物)です。いまから1200年前の出来事。

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